前回の参観日は行き損ねたので、今回こそはと思っていました。
去年は、授業が崩壊しかけていて、参観日で授業を見ていてもなるほどと思える内容でした。
昨年の担任の先生は、今は何の授業かあいまいで、声はよく通るんだけど、意図が子どもたちに伝わっていない感じ。授業に集中できない子がいるのも納得がいきました。
「今年は授業をゆったりと聞ける」と子どもからも聞いていましたが、今年はどうだろうと様子を見に行きました。
子どもの言うとおりで安心しました。
しかし、授業中にお母さん方が後ろでぺちゃくちゃぺちゃくちゃと喋っているのが気になりました。じっと聞いて、様子を感じて、ひとりひとりの子どもの様子を見てあげてほしいものです。
その後、昼まで、PTA主催の「心肺蘇生法」の講習会です。
消防署の方が講師で保護者に実践指導をしてくれます。
今年は年配の方が3名ほど出席されていて、うれしくなりました。
平日なので、男性は少なく、私以外はPTAの会長と教頭先生だけでした。
子どもたちに何かあった時、できるだけのことはしたいと思い、できるだけこの講習会は参加しています。お母さんたちも、これから夏のプール当番のこともあって、大体一定の人数は集まります。
「人工呼吸」「胸骨圧迫」「AED]についてひとりひとり人形を相手に実際にやってみます。
真剣にやっているとあっという間に時間がきました。
質問で、「夜中、子どもに何かあったとき、子どもをどこへ連れて行けば良いのか?」という質問がありました。というのが、夜中に救急をやっている小児科の病院がなくなっているそうです。
それは、知りませんでした。
段々と安心して暮らすことが難しい世の中になってきました。経済優先の政策がどんどん進んで行き、儲からないことは政府もやらなくなっていっています。
人々の暮らしを保障する部分は保障して、命に関わらないハコモノなどは後回しにしてもらいたいものです。

読んでいただきましてありがとうございました.
周りを見ると、水泳に英語、学習塾と、てんこ盛りに行っている子どももいるし、そろばんと学習塾に行っている子どもがいて、なんとなくウチの子どもだけ、習い事に行っていないような気がして不安に思うときがたま〜にあります。
私が子どもの頃は、親に勉強しろとはきつく言われた記憶はあまりありませんが、母親の無言のプレッシャーは感じていました。勉強しろと言われる代わりに、「私は学校に行けなかったから、子どもには学校に行ってほしい」という言葉を何度も聞かされていました。
だから、私もそれに応えようとしていたんでしょうか、塾へは行かなかったけれども、宿題はしっかりやり、それ以外に何かしていたように思います。
だから、学校は出たけど、何となく行かされていたような感じがずっとしていました。
でも、社会人になって、小さい頃から積み重ねてきた勉強が土台にあることを感じるようになりました。勉強をする機会を与えてもらっていたんだなあと思うようになりました。ただし、今の時代のように就学前から、文字を覚えたり、計算を覚えたりしたようなことはなかったように思います。幼児期は幼児期、小学生時代は小学生にあったことをしていました。
昔から、「読み書きそろばん」という言葉がありますが、そこは親として子どもに渡したいものの一つです。他に、健全な身体。色んなことを感じる感覚、感性。思いやりの心などがあります。メンタル部分に関しては大体が親の姿を見て子どもが身につけていっているように感じていますが(笑)。
「読み」はそこに書かれていることを読む力。意図を感じる力。「書き」は文章を書く力。伝える力。「そろばん」は計算力。数字を感覚で捉える力。
これがあれば、必要なときに必要な知識が身につくように思っています。

読んでいただきましてありがとうございました。
上達屋
大阪の江坂駅近くの道路は一歩路地を入ると一方通行だらけで、行き方を間違うととんでもないところへ出てしまいます。ちょっと迷ってしまい、大きな通りから仕切りなおして到着しました。
今日も2面ある練習場は予約で埋まっています。
2階にあるクオ・メソッドの場所は空いていました。
高校生と小学生がそれぞれバッティングに取り組んでいました。
1コマ30分なので、あっという間です。
練習風景をビデオかDVDに録画してくれて、それを練習中にスタッフと一緒に見ながら練習をしていきます。録画したものは帰る時に持って帰らせてくれます。
前回、購入したDVD付きの本による毎日のエクササイズが効いているのか、身体にタメとキレが出てきています。
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「これくらい、本で内容をバラしても(笑)良いのか?」というくらいDVDと書籍で表現されています。
でも、道場で実際体験するのとは、やはり違います。息子も取り組み方が違い、濃い30分間でした。
一人のプロ野球選手のスイングを練習中に画面で再生してくれました。
バッターは詰まりたくないため(詰まるとピッチャーに負けたと思ってしまう)、どうしても良い当たりをしようとして、そのようなスイング、バッティングポイントを選択します。しかし、その選手は違いました(その選手だけではないけど)。
道場でそのポイントで打てるよう練習しましたが、また、帰ってから親子で練習です。

読んでいただきましてありがとうございました.
木曜日の時間割を見ると1時間目に国語の授業だったので、仕事を途中抜け、授業を見に行くことにしました。
学校に入るのに少し時間が掛かったので、教室に入るとすでに授業は始まっていました。
国語の予定が変わっていて、理科のテストの採点したものを返却し、各自もう一度問題を考え、先生のところでもう一度見てもらうということをしていました。
問題になっている男の子(進学塾に通っていて、有名中学を目指している地元の偉い人の子ども)は、点数が気になるのか、自分が呼ばれる前から先生の後ろへ行き、配っているみんなのテストを見ていました。
テストを自分のところへ持って帰ってしばらく見ていると、直すでもなく(100点だったのかどうかは分からない)、小さく折りたたんでゴミ箱に捨てていました。その後は、図書館から借りてきている「はだしのゲン」を読んでいました。先生の授業が始まってもその調子です。相変わらず、無表情です。笑うのでもなく、怒るのでもなく、悲しむのでもなく。その無表情にしている子どもの心の中はどれほどの苦しみを抱えているのでしょう?など、見ていていつも感じます。
他のある子どもは、口で色々とちょっかいを出し、出された子は足で蹴る。また、ちょっかいを出し、足で蹴るを繰り返している。
前の方では、2人の子どもが前に座らされていて、先生に怒られている。どうも2人で他の子どもをいじめて謝るように先生に言われているようである。2人のうち片方の子はどうやっても謝ろうとしない。
そうこうすると、今度は先生が社会のテストを返却し、理科と同じようにテスト直しを始めました。この前行った社会見学のこととテストの内容と共通するところがあることを話し始めました。
そうすると、ある子どもは机に頭をつけてだるそうに寝始め、それを先生がきちんと座るようにしに行く。
そうこうしている内に、他の子どもはウロウロし始める。
テスト直しが全員終わると、今度は国語の本読みが始まりました。
国語当番が前に出て、読むのに合わせて一緒に本読みをします。
そうこうする内に1時間目が終わりました。
いったい、1時間目は何の時間だったんでしょう?見ていて、何をする時間か、次に何をするのか分からない授業でした。
40分間、その教室にいただけでひどく疲れました。イヤな雰囲気の空間でした。あの中にいたら、心がよどんできます。あの中で、普通に過ごすことができる子どもは偉いと思いました。いやいや、感心している場合ではないです。
親と子どもとの関わり方、先生と生徒の関わり方、意図を伝えること・伝え方について、考えさせられました。

子どもの宿題の幾何学問題で、正円が3つならんでいて、ある接点を結んだ線の長さは何センチでしょう?という問題がありました。
その問題を解く課程で、よめさんは「算数はひらめきが大事」と主張し、仮定を立て問題を解こうとします。私は「それも必要だが、算数は論理的積み上げが大事」と主張し、その仮定したことが正しいことを証明できないといけないとその仮定を追求しました。
どちらも大事なんですが。
この夫婦のやり取りに小学4年生の子どもはまだ着いていけませんが、そのうち、この(老)夫婦が着いていけなくなる時が来ます。それまでは、一緒に勉強する時間を持ちたいものです。
ローマ字はキーボード入力でお世話になっていますが、ローマ字の詳しいことは、もう忘れていました。
http://homepage1.nifty.com/~petronius/data/romazi_hahurei.html
上記より以下抜粋。
前表に定めたもののほか、おおむね次の各項による。
1
はねる音「ン」はすべて n と書く。
2
はねる音を表わす n と次にくる母音字または y とを切り離す必要がある場合には、 n の次に ' を入れる。
「’」を入れることは覚えていなくて、子どもにはローマ字も変わったんやな〜と言ってしまいました。
歴史なんかは変わっているんやろな〜。地理も呼び名が変わっていたりするし。














